皆さんは、好きの感覚って知ってますか?
私は、神様の勉強を始めるまでは、好きの感覚ってなかったんだと思います。
そしてこの好きの感覚を少しずつ教えてもらっていたんだと思うんですよね。
私が思うに、
『好き』
というものと
『愛情』
というものは反比例します。
そういえば、昔よく思っていたんだけど、
うちの夫は、私が妻として夫のために何かをすることを喜んでいました。
私から自分の事を心配されることとかも、喜んでいたと思います。
だから、私聞いたことあるんです。
『私があなたの為にしたことを見て、愛だと思うの?』
夫は、『そうかもしれない』と言っていました。
愛って、誰かのために何か奉仕することなのではないでしょうか。
愛って、誰かに自分の体力や時間、お金を渡すことなのでは?
愛って、道徳的なもの・・・ですよね?
そういうものじゃないんでしょうか。
愛を持っていると
愛する人のために、何かをしてあげなくちゃ。
となるんですね。
そして、私はこんなにしてるのに、してもらってない!
と不満も出ます。
わかります。
だって、自分の何かを渡しているんだから。
お返しが欲しくなって当然です。
自分が、なんだか損をしていると感じてしまいます。
傷付いちゃう。
愛が強い人ほど、こんな風に感じるんだと思います。
誰も自分を理解してくれる人なんかいない。
寂しい。
こんな感覚です。
逆に好きという方向から見たとき、どうなるのか考えてみます。
『好き』が自分の中にない人は、何か自分の心が空っぽのような感覚があります。
だから、人の好きを探してしまうんです。
でも、見つからない。
というか、自分の中に好きというものがないから、分からないんです。
見つけようがない。
そこで、こんなことを思います。
『愛されていない』
『誰もわかってくれない』
そして、寂しいと。
寂しいってね。寂しいから出た行動ってね、自分をめちゃくちゃにしてしまうと思います。
愛とは、平等・何もしなくていい・今のままでいいよと言ったものです。
平等・何もしなくていい・今のままでいいよ
では、これらの感覚を自分で感じるためにはどうしますか?
誰かから愛されている感覚を感じなければ分からないじゃないですか。
だから、自然に誰かから何かを得る感覚を感じようという視点になっちゃうんじゃないですか?
愛が、寂しいを育てるんです。
好きがあると、寂しくないし、人に何か求めるということはありません。
好きで心はいっぱいだから。
好きは、もっともっと何か欲しいという気持ちは起こさせないからです。
私がなぜか夫にイライラするときは、
好きが減り、愛が大きくなった時でした。
好きは、自由でしょ?そして、燃えるもの。
愛は、縛るものであり、冷やすもの。
愛という定義はいっぱいあるけれど、私の中では愛は苦しみじゃないかと思いました。
私の名前は、愛ですけど。
あなたが大切にしているものは、愛ですか?好きですか?
私は、好きを育てていこうと思います。
では、また。

